Article - Behind the Project Story
“遠いあなたと / 扉の先へ” by FUKUROSHO 北区立袋小学校6年1組&2組
Japan, Jordan, Nepal“遠いあなたと/扉の先へ”
袋小学校6年生による、歌の贈り物。
世界とのつながりを考えた、制作ストーリー。
2019年春、私たちは東京都北区立袋小学校6年生の子どもたち計70名と初めて対面した。きっかけは、当時6年生の担任を務めていた山下先生を共通の知人から紹介いただいたことだ。
山下先生は「総合的な学習」の時間で、様々なゲスト講師を招き、実践的に世界で活動する大人たちと交流し、そこから社会について学ぶことができるプログラムを毎年作られてきた方だ。そしてそのプログラムに、私たちWORLD FESTIVALを今回のゲスト講師として、招いてくださったのだ。それが、本プロジェクト「FUKUROSHO 北区立袋小学校6年1組&2組」 のはじまりだった。
教科書から学べることだけでなくて、社会問題などについて社会を通した実践的な学びの機会を提供したい。先生からこのように話を聞いた私たちは、海外の子どもたちと一緒に一つの楽曲を制作するプロジェクトをやってみてはどうか、と提案した。
その国やそこに住む人をまず好きになってもらいたい。素敵な文化があることを肌で感じてもらいたい。「社会問題がある国」ではなくて、子どもたち一人ひとりの目線からその国の魅力を発見してもらいたい。こうした想いからだ。その過程で、社会問題についても関心を持ったり、考えたりする機会がきっと生まれてくるはず。
そして、より深いコミュニケーションを取るためには、何かを一緒に作るのが一番良い。音楽であれば、言語を超えることができるし、あのとき歌ったあの歌、はこの先何年たっても、聴きかえす度に当時の臨場感ある記憶と共に、いつまでも心に残る。
プロジェクトのテーマは、「世の中から“関係ない”をなくす」。これは、私たちWORLD FESTIVALが掲げるミッションでもある。
袋小学校と海外の子どもたちが実際に交流し、子どもたち自身が国を超えて共に楽曲制作をする。そして、私たちが手掛ける WORLD FESTIVAL LABELを通じて、その楽曲をグローバルに発信・販売することで、世界との実践的なつながりも体感できる。こんなことを考えて、とてもワクワクした。
自分たちから生まれたアイデアや考えが一つの形になり、「こんなものになれるんだ!」という発見が、深い絆と、大きな自信をきっと生み出してくれる。国を超えた人たちがそれを購入したり、評価してくれたらなおさらだ。音楽が世の中に存在する限り、あのときの絆と、確かにそこに存在したという事実はいつまでも残り続ける。それはWORLD FESTIVAL LABELとしてもっとも大切にしていることでもある。企画としてはベストマッチだった。その実現を目指して、1年間のコラボ授業がスタートした。
交流先はヨルダンとネパールに決定した。世界を広げていって欲しいという想いから、あまり普段はなじみのなさそうな国を敢えて選んだ。現地にいるWORLD FESTIVALの仲間に協力してもらい、ネパールのドバ、ミャグディ群にある小学校、ヨルダンの首都アンマンにある中学校との交流&制作プロジェクトとして始動した。
最初に取り組んだのは、「my hometown」という企画。お互いの自己紹介を兼ねて、自分たちの街の魅力を映像にして届けてもらう。
子どもたちはiPadを使って、インタビューをしたり、公園や自然、商店街、様々な場所に繰り出していった。自分たちの街の魅力はなんだろう。どんなことを伝えたいだろう。そうしたことを考えながら、子どもたち自身で撮影と編集を行って、映像を完成させた。
授業の中で、今回のテーマについても一緒に考えた。関係ないをなくす、とはどういうことか。
行ったこともない国、会ったこともない人、触れたこともない遠い場所。
それらと今ここにいる自分たちが地球という一つの星の中で関係している、つながっているとはどういうことか。
子どもたちも、初めは怪訝な表情を浮かべていたように思う。みんないい子なので、熱心に聞いてくれていたけれど、内心はおそらく「でも、関係ないでしょ」と感じていた子はたくさんいたように思う。
それは当然のこと。一度も海外に行ったことのない子もいる。もっともらしいことを説教されても、心からの共感と自らの発見がなければ、それは自分が本当に意識すること、信じることにはなれない。子どもたちだけではない。世の中にいるほとんどの大人だってそう思っている。頭で理解することと、心から感じることは、全く別の世界の話だ。
ネパール、ヨルダンとの交流の日。初めて合った国の子どもたちとPC画面を介しながら、慣れない英語で話したり、笑顔とボディーランゲージで様々なことを伝えようとしていた。歌を歌ったり手紙を送り合ったり、様々な形で交流を何度か行っていった。
「言語をうまく話せることではなく、相手に何かを届けたいという気持ちが何よりも大切」こんな感想を書いてくれた子がいた。上手く伝わったときは、みんなで喜んでいる。
それぞれの国では当たり前のものでも、一方にとっては新しく、珍しく、ときには歓声があがったりもする。そうしたとき、それを紹介した子どもは、少し照れくさそうに、でもなんとなく誇らしい表情をしている。こんな風に、海外の人と話すと、なんでもない身の回りのことがとても魅力のあるものだと、教えてもらえることがある。
こうして、前期をかけて行った「my hometown」が無事終了。
このあとは、いよいよ3カ国で共に楽曲制作に入る段階だ。とその矢先、予想外の事件が起きた。
ヨルダン全土の公立学校の教員が一斉にストライキを起こし、一時閉鎖となってしまったのだ。なかなか、再開の目処が立たない。ネパールも山岳地帯の村であったため、現地の回線状況が極端に悪化してしまい、3カ国の定期的な交流が絶望的なものになってしまった。
「共に作る」ことが難しくなってしまった。もう交流もできない。どうしよう。
落胆した気持ちは、大人にも子どもにも募った。
そうだ、私たちが現地に向けて曲をつくって届けよう!一緒に作ることは難しくても、袋小学校の子どもたちから彼らへのメッセージ(=お手紙)として歌を届けよう。そんな想いを胸に、プロジェクトは再始動することになった。
それぞれに様々な情勢や事情を抱え、想いとは裏腹に時にはすれ違ってしまう時もある。でも、そんな時にこそ、お互いの状況を受け止め前へ進む力が大切だ。国の政治も、個人個人も、家族であっても、それはきっとみんな同じだと思う。
そうと決まったらさっそく動く。まずはどんなメッセージを届けるか、届けたいか。自分たちが感じたこととは?改めて言葉にならない、なりにくい感情を一つ一つ懸命にはきだし、紙に落としていく。
子どもたち一人一人の純粋な想いと気持ちのカケラが合わさって、少しずつ少しずつ、形になっていく。
直接交流ができなくても、つながることはできる。より現地の魅力を五感で感じてもらうため、世界の台所探検家の岡根谷実里さんに協力いただき、特別授業を行った。ネパールの定番料理「モモ(Momo)」の調理ワークショップだ。
餃子に似ている?でも、ここが違うよ?岡根谷さんが問いかけると、いろんな意見が出た。自分で作り、触り、匂い、食べて、身体全体で感じる経験は貴重だ。
その後、別の機会である映像を紹介していたときに、たまたまモモが映ったときがあった。その瞬間、「モモだ!」と一斉に喜ぶ子どもたち。ネパールがぐっと近づいたこの調理実習は、大成功だったようだ。
作曲のワークショップも実施した。
リズムと、メロディさえあればどんなものも音楽になれる。誰でも音楽は作れる。
ピアノや民族楽器、カホン、ギターなど、様々な楽器に触れたり、自分たちで作ってみたメロディに歌詞をつけてみんなの前で発表してみたり。
最初は恥ずかしいし、自信もなかったけど、発表を重ねるうちにだんだんと「曲って作れるんだ」という空気に変わっていく。自分で作った曲に「伴奏をつけて欲しい」とお願いしにきてくれた子もいた。気づいたら、みんな自然と笑顔が増えていた。
いよいよ、楽曲制作の当日。メロディと歌詞を作り、音楽という形にまとめることが目標だ。
1組と2組で1曲ずつ。作曲班、作詞班、映像班に分かれて取り組んだ。
事前のワークショップで作った詩の原型をもとに、まず楽曲のテーマを決めた。子どもたちが選んだ言葉は、「つながり」。このテーマに沿ってグループごとにメロディや作詞のアイデアを発表していく。ミュージシャンのanagonにも仲間入りしてもらった。anagonと僕らでファシリテートしながら、出てきたアイデアを並べ替えたり、アイデアを膨らませていく。
こういう時、子どもたちの力に本当に驚かされる。はじめこそ、中々アイデアはでなかったが、一人が勇気をだして発表しだすと、そのあとはメロディーも歌詞も、たくさんのアイデアがどんどん出てくる。メロディーに合わせてピアノやギターを奏でながら、「こんな雰囲気?」などと確認し、みんなの意見をもらいながら伴奏も決めていった。
なんとかその日のうちに主要なメロディと歌詞は完成することができた。最後に1組2組でそれぞれ発表し合う。他のクラスの曲を聞いて、「すげー」とか「かっこいい」とか、とても驚いている。お互いに、拍手を送り合う。すぐに他のクラスの歌を口ずさんでいる子もいた。
大人も、少しは活躍しないといけない。曲を持ち帰り、メロディや伴奏を整えていく。迷ったら、子どもたちに意見をもらう。そうして、ついに「完成!」となり、早速子どもたちは歌の練習に取り掛かった。
数日が経ち、練習の成果を聴かせてくれるというので、聴いてみて驚いた。コーラスや男女の掛け合いなど、予想外のアレンジが加えられている。先生に伺ってみると、「もっとこうしたい」という意見が出て、それを反映させてみたとのこと。きっと、歌いながら気づくことがたくさんあって、こだわりを捨てられなかったのだろう。みんながもう、立派なミュージシャンに見えた。
そして、次はいよいよレコーディング。
防音設備や機材がしっかりしたスタジオではなく、ずっと授業を行ってきた袋小学校の校舎でレコーディングを行うことにした。周りの声が少し入るかもしれない。チャイムが邪魔するかもしれない。
けれど、彼らがずっと過ごしてきた校舎で、そのありのままの魅力がつまった空間を収めたいと思った。周りの音はノイズではなく、「味」になる。
レコーディング初日、はじめてみる機材に子どもたちは興味津々。
1組からスタートした。他にも授業があるので、合計で4時間程度しかない。
はじめは緊張気味だった子もたくさんいたが、なぜかマイクの前に立つと、大きくみえた。もちろん間違えたり、うまく歌えなかったり、声が小さかったり、様々な問題が山積みだったが、自分たちの作ったものを堂々と歌おうとするひたむきな姿勢に、私たちは彼らを心底誇りに思った。
1日目は結局1組を録り終えることができず、1組の残りの子と2組は翌週に持ち越しとなった。
そんな矢先、またもや想定外の事態。
当時は2020年2月、日本でも新型コロナウイルス(COVID-19)の報道が日に日に増えだしていた頃。世界各地では、子どもたちを守るために学校を閉鎖するという動きも出ていた。
そして2月27日、遂に日本も、全国の小中学校、高校などに対する3月2日からの臨時休校の要請が発表された。
予定していたレコーディング2日目は、その発表翌日の2月28日。そしてそれは、3月末で卒業をする6年生の彼らにとって、事実上の小学校最終日となる日になった。
前回の笑顔とはうって変わり、暗く浮かない表情。朝一で、校長先生、担任の先生たちから、おそらく最終日になるであろうことを告げられたのだ。数名の女の子は目に涙を浮かべていた。担任の山下先生も、今にも泣きそうな顔をしている。
そんな様々な複雑な感情が入り混じった状態で、レコーディングが始まった。
なんとしてでも、この日に録り終えないといけない。現場は、なかなかの緊張感に包まれていた。けれど、あまり緊張状態を作りすぎても子どもたちが歌いづらくなってしまう。なるべく柔らかく楽しい空気にしようと、私たちは必死だった。
一方で、天気は大きな味方となり快晴。ミュージックビデオ用の撮影も兼ねていたため、これには本当に助けられた。
レコーディングも2回目ともなると、スタッフも生徒も慣れ始めていた。前回同様チャイムがなりそうになると、「チャイムこのあと何分間なります!」と教えてくれたり、わざわざ止めにいってくれたり、生徒同士で教えあったり励ましあったりと、みんな自発的に動き、一緒になんとしてもやり遂げようとしてくれた。
そして何の因果か、2曲とも「つながり」という部分が大きなテーマとなっていたためか、歌を聴いていると、これは子どもたち同士の絆と友情にも通ずるように聴こえてくる。それを感じ取っていた生徒も多く、歌いながら泣き出す子もいた。
そんな状況に私たちも、山下先生も目頭が熱くなる瞬間がたくさんあった。
全員が力を出し切り、レコーディングは無事終了。ミュージックビデオの撮影も含めて、全てやり遂げることができた。
しかし本来なら、このあと楽曲のアレンジ、メディアへのPR、販売方法、ジャケットデザインなど様々なリリースまでの工程を一緒に行う予定だったが、それらは臨時休校に伴い、実施することはできなくなっていた。
レコーディング後、70名全員、教員たちと感謝を伝え合い、みんな本当に楽しかったと笑顔で挨拶してくれ、このあと物理的にはなれても楽曲を必ず完成させる。それまでは連絡を取り合って一緒に進めていこうと、そしてまた必ず会おうと、お互い手を大きく振って別れを告げた。
その後、生徒の保護者さん宛に卒業後もWORLD FESTIVALとの直接のやりとりを認めてもらうお願いをし、全員ではないが多くの保護者さんが了承してくれた。
その後は、レコーディングした音源を持ち帰り、私たちはさっそくアレンジャーと共に、楽曲アレンジ作業に入った。そして音源完成のためのミックスとマスタリングのエンジニアにも急ピッチで動いていただいた。実は、先生たちの協議の結果、1日だけ再度学校に集まり、そこで事実上の卒業式を行うことになっていた。それまでにアレンジを完成させて、当日みんなに聴いてもらいたい。3月中旬のその日までの短期間でなんとか2曲とも、アレンジと仮マスタリングを仕上げ、無事にお披露目をすることができた。
その後は、中学生になったみんなとも、連絡を取りながら、有志でオンライン上で集まってもらい、ジャケットデザインを考えたりなど、一緒に活動を続けてきた。そうした取り組みを積み重ねて、ようやくリリースの日を迎えることができた。
「遠いあなたと 笑い合えたこと それだけでも 分かち合えたかな」
「感じることや 思うことの全てが 扉の先に あるんだから」
関係ないをなくす、ってなんだろう?
最初に怪訝な表情を浮かべていた子たちは、この歌を作った今、どんな風に考えるだろうか。ヨルダンとネパールという国とそこに住む人々が、彼らにとって少しでも身近な存在になっていたら嬉しい。
これからは、この楽曲を世界に届けていくための活動を、子どもたちと一緒に取り組んでいきたい。世界中のあらゆる場所にこの歌が届き、歌ってもらえることを目指して。
– Text & Photo by Yuki Kondo (Producer/Director)
– Layout & Edit by Shunsuke Noguchi
Art works by FUKUROSHO children